その日、私は朝から妙に機嫌がよかった。
理由は単純である。
昼から飲む予定だったからだ。
人は時に、努力のためではなく、合法的に昼酒を楽しむために朝から活動する。
これは怠惰ではない。段取りである。
そして私はその段取りの一環として、業務スーパーの冷凍ブロッコリーを取り出した。
「来たな……本日の主役……!」
袋を掲げる。
冷凍庫の冷気を背負いし緑の刺客。
安い。多い。うまい。
コスパの化身、業スーブロッコリーである。
私は知っていた。
ブロッコリーはただの健康野菜ではない。
ノンフライヤーでうまく乾燥させれば、カリッと香ばしい、酒泥棒おつまみに進化する。
そう。
成功すれば、とても美味しい。
私は過去に何度かその奇跡を見ていた。
つまり経験者である。
素人ではない。
ブロッコリー乾燥界における、いわば古参である。
ゆえに、私は油断した。
「え?ブロッコリーをおいしいおつまみに?できらぁ!!」
誰もいない台所で、私は胸を張って言い放った。
啖呵とは、だいたい失敗フラグである。
だが、このときの私は知る由もなかった。
この一言が後に、緑黄色野菜を黒歴史へと変える開戦の号砲になることを。
調味料を並べる。
アジシオ。
ガーリックパウダー。
味の素。
七味。
「強い」
私は思わずつぶやいた。
顔ぶれがもう勝っている。
味の暴力。
酒と結託する気満々の連中である。
冷凍ブロッコリーにばさっと振る。
雑に混ぜる。
ここで私は一切ためらわない。
なぜなら今日は“丁寧な料理の日”ではなく、**“手抜きで勝ちたい日”**だからだ。
「このへんはもう経験がものを言うからね」
誰に向かって言っているのか自分でもわからないが、ベテラン感だけは出しておく。
料理において、自信満々な独り言はだいたい事故の前兆である。
そして私はノンフライヤーの前に立った。
文明。
技術。
人類の英知。
揚げてないのに何かそれっぽくしてくれる魔法の箱。
「頼んだぞ」
ブロッコリーを投入。
設定を決める。
120度、120分。
数字の並びが美しい。
やけに整っている。
なんか賢そう。
料理において最も信用してはいけない種類の“なんか賢そう”である。
「低温でじっくり乾燥……うまみ凝縮……」
私はうなずいた。
過去の成功体験と、今この瞬間の雑な自信が、私の中で危険な化学反応を起こしていた。
本来なら、途中で様子を見るべきだった。
ブロッコリーの乾き具合を確認し、仕上がりを見極めるべきだった。
だが私は見なかった。
なぜなら――
「昼から飲む準備で忙しいからな……」
そう、私は別件で忙しかったのである。
グラスを出し、つまみ皿を出し、飲み始める態勢を整える。
まだ完成してもいないのに、心はすでに勝利の宴に入っていた。
昼。
私は飲み始めた。
開始時刻が昼であることに、いっさいの恥はない。
午前中から仕込んでいるのだから、これはもう労働の対価だ。
「いやー、今日はいいつまみになるぞ」
一口飲む。
二口飲む。
気分が良くなる。
ノンフライヤーの中では、ブロッコリーが静かに運命の分岐点を越えていた。
本来なら“うまい乾燥ブロッコリー”で止まるはずだった。
だが止まらなかった。
なぜなら誰も止めなかったからだ。
私が見ていない間に、ブロッコリーはこう思ったに違いない。
『えっ、まだ行くの?』
『いや、もう十分乾いたけど?』
『これ以上は違う方向じゃない?』
『ちょっと、誰か……』
だが台所に監督はいなかった。
現場猫すらいなかった。
いるのは昼酒でご機嫌な私だけである。
やがて、完成の時が来た。
「よし、そろそろ最高のおつまみができてる頃だろ」
私はウキウキでノンフライヤーを開けた。
そして、静止した。
「……あれ?」
そこにいたのは、私の知るブロッコリーではなかった。
緑がない。
希望もない。
なんなら生命の気配もない。
あるのはただ、炭化した何か。
ブロッコリーというより、
古代遺跡から発掘された供物。
火山の噴火で埋まった村の残留物。
終末世界で通貨代わりにされている黒い枝状の物体。
「炭化しとるーーーーーーッ!!」
私は叫んだ。
昼酒の浮かれ気分が、一瞬で現実に叩き落とされる。
「うそでしょ!?そんなことある!?120度だよ!?低温だよ!?優しさの温度帯だよ!?」
ノンフライヤーは何も答えない。
あいつはいつだって仕事しかしない。
設定されたことをやるだけだ。
悪いのはだいたい人間である。
私は炭化ブロッコリーを皿にあけた。
カサ……。
音がもう終わっていた。
食材が出していい音ではない。
乾燥を通り越して、存在が軽くなっている。
「いや待て、落ち着け。見た目で判断するな。料理は食べるまでわからない」
この期に及んでなお、私は希望を捨てなかった。
人は失敗作を前にすると、急に包容力が増す。
まるで昔からの友人を見るような目で、私は一片つまんだ。
口に入れる。
バリッ。
食感がまず強い。
野菜が出していい音ではない。
これはもう、木材とか乾物とか、そういうカテゴリーの音だ。
そして遅れてやってくる、圧倒的焦げ。
「にっが!!!」
苦い。
ちゃんと苦い。
言い訳のできない苦さ。
七味もガーリックも味の素も、全員まとめて焦げの王にひざまずいている。
「終わった……」
私はうなだれた。
完全敗北である。
ブロッコリーをうまいつまみにするつもりが、黒い教訓を生成してしまった。
だが、その直後だった。
「……ん?」
私はもう一片つまんだ。
バリッ。
ニガッ。
でも――
「……あれ?微妙にうまくない?」
静寂。
私は三片目に手を伸ばした。
バリッ。
ニガッ。
でも、なんか、嫌じゃない。
「何これ」
四片目。
「何これ!?」
五片目。
「待って待って待って、失敗してるのにちょっとおいしいタイプのやつ!?」
そう。
これは“成功作”ではない。
断じてない。
理想の乾燥ブロッコリーからはだいぶ逸脱している。
しかし、
苦いのに、ちびちびやると妙に酒が進む。
最悪である。
最悪の方向で完成している。
脳内会議が始まった。
理性「捨てろ。これは失敗作だ」
貧乏性「いや、業スーのブロッコリーはコスパがいい。まだいける」
酒飲み「むしろちびちび系つまみとしてはアリ」
料理人ぶりたい自分「“焦がし熟成ブロッコリー”と名付ければ店のメニューっぽい」
理性「名付けで誤魔化すな」
酒飲み「苦みって、大人の味だから」
理性「お前は何でも酒に寄せるな」
貧乏性「成功するととても美味しいってわかってるんだから、今回は研究データとして食べよう」
理性「研究者ヅラするな」
結局、議長は酒飲みだった。
「よし。これは“ちびちびおつまみ”として処理する」
処理て。
私は自分の失敗に対し、妙に行政的な言い回しをした。
だがそれが最もしっくりきた。
これは勝利ではない。
華々しい成功でもない。
しかし捨てるには惜しい。
ゆえにこれは、敗北をつまみに変換する高度な資源活用なのである。
私はグラスを傾け、炭化ブロッコリーをかじった。
バリッ。
ニガッ。
うま……くはない。
でも、なんか、いる。
「お前……おつまみとしての執念だけ異常に高いな……」
私は皿の上の黒い物体を見つめた。
かつては緑だったもの。
様子見をサボられ、久しぶりで感覚を忘れた人間の雑管理によって、限界を越えさせられた哀れなブロッコリー。
だがその末路が、まさかの
“微妙に美味しい”である。
料理の世界、奥が深すぎる。
結論を言おう。
ブロッコリーはノンフライヤーで乾燥させると、かなり美味しいおつまみになる。
本当にうまい。
業務スーパーの冷凍ブロッコリーを使えばコスパも最高。
うまくいけば、昼飲みの幸福度を一段引き上げる名脇役になる。
ただし。
調子に乗って120度120分を放置すると、炭化する。
そして、
炭化すると苦い。
しっかり苦い。
でもなぜか、ちびちび食べると微妙にうまい。
そのせいで反省が薄れる。
ここが最も危険である。
私はグラスを置き、黒くなったブロッコリーを一片つまんで、深くうなずいた。
「次はちゃんと様子見よう」
あまりにも当たり前の結論だった。
だが、酒を飲みながら台所で得る教訓など、だいたいそんなものである。
そして私は、もう一片かじった。
バリッ。
「……にがっ」
苦い。
でも、もう一口飲むと、なんか許せる。
こうして私は昼下がり、
“できらぁ!!”と啖呵を切って炭を生成した者として、
静かにグラスを傾け続けたのだった。
☆後書き☆
歌にしました。聴いてください。



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