私は労働を許さない〜宝くじで楽して儲けたいと言っただけなのに、働けと言われたので縁を切った話〜

ぐうたら研究報告

人として、楽して儲けたい。

これはもう、思想とか哲学とかではない。
本能である。
呼吸と同じだ。
むしろ呼吸より自然かもしれない。
人は疲れた時、水を飲む。
腹が減った時、飯を食う。
そして金が欲しい時、できれば楽して欲しいと思う。

あまりにも自然な流れである。

昔、私は夢を語ったことがある。

「宝くじ当てて儲けたい」

この、あまりにも清く、あまりにも正しく、あまりにも人間らしい願いを口にした時だった。

ある知人が言った。

「働いてお金稼げばいいじゃん」

その瞬間、こいつとは分かり合えないな、と思った。

絶縁した。

今でもしている。

当然である。

なぜなら、こちらは今、
“どうすれば労働を回避しつつ金を得られるか”
という、人類にとって極めて重要なテーマの話をしているのだ。

それなのに、あろうことか返ってきたのが
“労働”
である。

会話が下手とかいうレベルではない。
野球の話をしていたら急に馬を連れてこられたくらいズレている。


宝くじの何がそんなに悪いのか

宝くじには夢がある。

いや、正確には、
「努力・才能・継続・根性・人脈・営業力・朝起きる能力」
みたいな面倒な要素をすっ飛ばして、金だけ来る可能性がある。

ここが素晴らしい。

世の中には、「成功には努力が必要」みたいなことを言う人がいる。
もちろん、そういう面はあるのだろう。
だが、こちらは別に成功したいわけではない。

楽したいのである。

ここを履き違えてはいけない。

成功は副産物でいい。
金があって、だらだらできて、適当に美味いものを食って、
「今日なにもしてないな」
と満足げに天井を見つめられれば、それでかなり勝ちである。

つまり宝くじとは、
人間の怠惰に対する、極めて誠実な金融商品
なのだ。


「働けばいいじゃん」は何も分かっていない

「働けばいいじゃん」と言う人は、一見まともに見える。

たしかに筋は通っている。
収入を得たいなら働く。
論理としては正しい。
教科書に書いてあってもおかしくない。

だが、こちらが求めているのは正論ではない

免除である。

ここが決定的に違う。

たとえば、こちらが
「空を飛びたい」
と言っている時に、
「じゃあ航空力学を学んでパイロットになれば?」
と言われても、そうじゃないのである。

こちらが欲しいのは、
努力の過程を全カットした結果
なのだ。

料理でいえば、材料を切るのも炒めるのも片付けるのも嫌だから、
完成品だけが瞬間移動してきてほしい、
そういう話をしている。

それなのに「自炊すれば?」は、
会話のようでいて会話ではない。
ただの労働勧告である。


私は労働を許さない

誤解しないでほしいのだが、
私は別に、世の中の働いている人を否定したいわけではない。

働ける人はすごい。
えらい。
立派。
社会を支えている。
拍手。
スタンディングオベーションである。

でも、私はやりたくない。

ここが大事だ。

他人の努力を称賛することと、
自分が努力したいかどうかは、
まったく別問題である。

世の中には二種類の人間がいる。

働くことで未来を切り拓こうとする人。
そして、なんとかして労働を回避しながら金だけ手に入らないか考える人。

私は後者である。
堂々たる後者である。
むしろ前者を見ながら
「すごいな……元気だな……」
と、こたつの内側から尊敬している。

つまり私は、労働者への敬意を持ちながら、
自分には労働を適用しないでほしい
という極めて身勝手で、極めて誠実な立場を取っている。


労働は、存在するだけで重い

労働の何が嫌かというと、全部である。

まず、朝がある。
意味が分からない。
なぜ金を得るために、眠い時間帯に起きなければならないのか。

次に、継続がある。
一回だけ頑張ればいいなら、まだ話は分かる。
しかし労働は違う。
何度も来る。
昨日倒しても、また明日いる。
RPGの雑魚敵か?

さらに責任がある。
ミスしたら怒られる。
ちゃんとやっても、もっとやれと言われる。
頑張っても給料は急に三億円にならない。
夢がない。
宝くじの方がよほど誠実である。

宝くじは最初から
「ほぼ当たりません」
という顔をしている。
あの正直さは見習うべきだ。
一方で労働は、
「頑張れば報われるかも」
みたいな期待を持たせてくる。
重い。
人の感情に寄りかかってくる感じが重い。


私の夢は、あまりにも小さく、あまりにも強い

私は別に、世界征服をしたいわけではない。

超大富豪になって豪邸に住みたいとか、
プライベートジェットが欲しいとか、
そういう強火の野望でもない。

いや、貰えるなら欲しいが。

そうではなく、もっと生活感のある夢だ。

毎日ちょっと美味しいものを食べたい。
値段をあまり見ずに酒を買いたい。
スーパーで半額シールがなくても、
「まあ今日はいいか」
と言いたい。
起きた瞬間、
「仕事か……」
ではなく、
「今日は何もせんでええな」
と思いたい。

そのために必要なのは、
崇高な理念ではない。
金である。

だから宝くじに夢を見る。

あまりにも真っすぐだ。
不純物がない。
動機が美しい。
怠惰と金欲が綺麗に手をつないでいる。


あの時、絶縁して正解だったと思う

あの知人も、悪気はなかったのだと思う。
たぶん本気で、現実的な助言をしたつもりだったのだろう。

でも違うのだ。

人には、言っていい正論と、
言ってはいけない正論がある。

疲れた人間に
「努力しろ」
は雑である。

宝くじの夢を語る人間に
「働け」
は野暮である。

そこはせめて、

「わかる。私も当たりたい」
とか、
「当たったら何買う?」
とか、
「その時は高い寿司でも奢って」
とか、
そういう夢に乗る姿勢が必要だった。

会話とは、正しさではない。
温度である。

こちらは高額当選という蜃気楼を見て、
気持ちよく未来を語っていたのだ。
そこへ現実を持ち込むのは、
花火大会で消火器を配るようなものだ。


それでも私は今日も夢を見る

もちろん分かっている。
宝くじは簡単には当たらない。
そんなことは知っている。
知っているうえで見ているのだ、夢を。

人間は、現実だけでは生きていけない。

時には
「これが当たったら、もう何もせん」
という甘い想像をして、
ニヤニヤする時間が必要なのである。

それは逃避ではない。
心の保湿である。

世の中が努力、継続、改善、成長、挑戦とうるさいからこそ、
こちらは言いたい。

私は労働を許さない。

少なくとも、
私に対しては。

誰かが真面目に頑張って社会を動かしてくれている間に、
私はできれば偶然の幸運で豊かになりたい。
この虫の良さ。
このどうしようもなさ。
この一貫したダメさ。

だが、それがいい。

人として、楽して儲けたい。
その気持ちに、嘘はない。

だから私はこれからも、
働けという正論に耳を貸さず、
都合のいい奇跡の到来を待ち続けるだろう。

来い、幸運。
頼む、偶然。
働きたくない。
できれば今後もずっと。

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