私はAITuberで金儲けしたい。
綺麗事ではなく、普通にそう思っている。
もちろん、AITuberとして面白がられたいとか、技術的にすごいと思われたいとか、そういう気持ちがゼロではない。
でも、最終的に欲しいのは「界隈で評価されること」だけではない。
ちゃんと選ばれて、見られて、残って、できれば金になることだ。
そう考えた時、AITuberをAITuber界隈の中だけで見ていても少し足りない気がしてきた。
AITuberやAIキャラの話を見ていると、比較対象としてVTuberが挙がることが多い。
たしかに見た目は近い。
キャラクターがいて、配信があって、コメントを拾い、ファンとの関係性を作っていく。
そのため、「AITuberはVTuberとどう違うのか」「VTuber市場にどう食い込むのか」という見方自体は自然だと思う。
ただ、こちらが本当に考えたいのが「AITuberとしてどう評価されるか」ではなく、「どうすれば選ばれて金になるか」なら、見なければならない競争相手はVTuberだけでは足りない。
AITuberが本当に奪い合うことになるのは、VTuberの視聴者だけではない。
もっと広く、視聴者の可処分時間そのものだ。
視聴者は、そこまで丁寧にカテゴリごとに娯楽を選んでいない。
今日はVTuber、明日はAITuber、その次はアニメ、というふうに綺麗に分類して消費しているわけではなく、その時いちばん見たいもの、いちばんラクに見られるもの、いちばん気になるものを選んでいることの方が多い。
Netflixを見る日もある。
映画を見る日もある。
アニメを流す日もある。
ゲームをする日もある。
お笑いを見る日もある。
漫画を読む日もある。
演劇やミュージカルのようなライブ性の強い体験に時間やお金を使う人もいる。
その中に、AITuberも入る。
つまり、AITuberの競争相手はVTuberという近接ジャンルだけではない。
視聴者の自由時間を奪い合う、あらゆる娯楽が競合になる。
この前提に立つと、AITuberの見え方はかなり変わる。
AIとして何ができるかだけでは、足りない
AITuberを語る時、どうしても話題はAI側の性能に寄りやすい。
どこまで自然に会話できるか。
どれだけリアルタイムに反応できるか。
どこまで人間らしく振る舞えるか。
自律的にどこまで回せるか。
もちろん、これらは重要だ。
技術的には面白いし、初期の驚きにもつながる。
「AIなのにここまでできるのか」という体験は、入口としては確かに強い。
ただ、その驚きがそのまま継続視聴の理由になるかというと、そこは別の話になる。
視聴者が見続ける理由は、最終的にはもっと普通のものだからだ。
また見たいと思えるか。
見ていて退屈しないか。
配信として成立しているか。
キャラに愛着が湧くか。
習慣として開きたくなるか。
これはAI特有の話ではない。
むしろ、昔からあらゆる娯楽が向き合ってきた、ごく基本的な問題に近い。
だからAITuberも、技術デモとして評価される段階を超えた先では、結局エンタメとして見られることになる。
そこでは「AIだからすごい」だけでは弱い。
重要なのは、「AIで何ができるか」ではなく、「そのAIを使って何を見せるか」の方になる。
競合が全娯楽なら、学ぶ相手も全娯楽になる
ここで出てくる結論は、かなり当たり前だ。
でも、お金のことを考えると、この当たり前を避けて通れない。
AITuberが視聴者の可処分時間を奪い合う全娯楽と競争するなら、やるべきこともシンプルになる。
各エンタメがなぜ面白いのかを研究し、それを自分のAIプロダクトにどう反映するかを考える必要がある。
NetflixにはNetflixの強さがある。
映画には映画の強さがある。
アニメにはアニメの強さがある。
ゲームにはゲームの強さがある。
お笑いにはお笑いの強さがある。
演劇やミュージカルには、ライブだからこそ成立する熱量や身体性がある。
それぞれ形式は違っても、人を引きつける仕組みは必ずある。
たとえば、続きが気になる構成。
緩急。
テンポ。
間。
キャラクターの魅力。
感情の上下。
意外性。
参加感。
習慣化しやすい導線。
誰かに勧めたくなるフック。
こうしたものは、媒体ごとに形を変えながら、ほぼすべての娯楽に入っている。
AITuberやAIキャラも例外ではない。
むしろ、技術に意識が向きやすい分、この「人が面白いと感じる設計」を後回しにすると、成立しにくくなる。
AIキャラが自然に喋ること自体は、これからますます安く、誰でも作れるものになっていく可能性が高い。
そうなると、差が出るのは基盤技術そのものより、その上に何を乗せるかになる。
つまり、会話品質の競争から、体験設計の競争に移っていく。
価値が移るのは、会話性能そのものではない
この変化をもう少し具体的に言うなら、価値が移る先はAIの会話品質そのものではなく、その周辺の設計だと思う。
世界観。
配信フォーマット。
ファンとの関係性。
継続率。
運用体制。
導線設計。
収益構造。
どこで新規が入り、なぜ残り、何をきっかけに深く関わるのか。
このあたりは、一見すると地味に見える。
しかし、実際にはここがプロダクトの強さを決める。
たとえば、同じように会話できるAIキャラが二つ並んでいても、片方はまた見たくなり、片方は一回で終わる。
この差は、モデル性能のわずかな優劣だけでは説明しにくい。
差になるのは、そのキャラがどんな文脈の中に置かれているか。
何を期待して見るものなのか。
見に行くたびにどんな満足があるのか。
どういう形で視聴者との関係が積み上がるのか。
つまり、AI単体ではなく、AIを含んだ体験全体の設計が問われる。
技術的達成と、見たくなる理由は同じではない
AITuberの議論で起きやすいのは、作る側と見る側の関心のズレだ。
作る側は、どうしても技術的達成に目が向く。
ここまで自然に会話できた。
ここまで自律的に動いた。
ここまでリアルタイムで応答できた。
それ自体はたしかに価値がある。
ただ、視聴者はそこに同じ熱量をずっと持ち続けるわけではない。
見る側が判断するのはもっと単純だ。
面白いか。
また見たいか。
退屈しないか。
わざわざ時間を使う理由があるか。
この差は大きい。
技術的に優れていることと、エンタメとして選ばれることは、重なる部分もあるが同じではない。
むしろ、技術的にすごいのに、体験としては平坦ということも普通に起こりうる。
だからこそ、AITuberやAIキャラをやるなら、AIの研究だけでは足りない。
人がどういう時に笑うのか、飽きるのか、次も見たくなるのか、どこで離脱するのか。
そうしたエンタメ側の研究が必要になる。
AITuberの可能性は大きい。だからこそ、勝負はそこから始まる
AITuberにはポテンシャルがあると思う。
キャラを中心に、配信、コミュニティ、コンテンツ展開、商品設計まで広げられる余地は大きい。
AIであることを活かした新しい体験も、まだまだ出てくるはずだ。
ただ、その可能性を本当に形にするためには、「AIだからすごい」で止まらないことが必要になる。
本当に問われるのは、視聴者がわざわざ時間を使う理由を作れるかどうかだ。
そしてそのためには、既存のあらゆる娯楽がなぜ選ばれているのかを見に行かなければならない。
Netflixはなぜ続きが気になるのか。
映画はなぜ短い時間で強い満足感を作れるのか。
お笑いはなぜ瞬間的に空気を変えられるのか。
アニメはなぜキャラへの愛着を育てられるのか。
ゲームはなぜ自分ごと化させるのか。
演劇やミュージカルはなぜその場限りの熱を生めるのか。
その研究を、自分のAIキャラやAIプロダクトにどう落とし込むか。
結局、勝負はそこになる。
当たり前の結論ではある。
でも、たぶんこの当たり前を飛ばして、AIの性能だけ見ていても、長く残るものにはなりにくい。
私はAITuberで金儲けしたい。
だからこそ、AITuberとしてどう見られるかだけではなく、もっと広い娯楽の市場の中でどう選ばれるかを考えたい。
AITuberはVTuberだけを見ていればいいわけではない。
最初から、もっと広い娯楽の市場の中に置かれている。
だからこそ必要なのは、AIとしての進化だけではなく、エンタメとして何が人を引きつけるのかを学び、それを自分の設計に反映していくことなのだと思う。


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